玉城町・田丸城址 高画質写真展示
(4月6日撮影)

[玉城町・田丸城址]
田丸城は南北朝動乱期の延元元年(1336)、後醍醐天皇を吉野に迎えようと伊勢に下った北畠親房が、愛洲氏や
度会氏などの援助を得て、この玉丸山(たまるやま)に城を築いて南朝方の拠点としたことが始まりとされる。
南朝方の拠点である吉野から伊勢神宮の外港大湊に通じる道は、軍事・経済の面からも吉野朝廷にとっては
最重要路線であり玉丸城は北朝・南朝の攻防の舞台となった。
室町時代には、伊勢国司となり一志郡美杉村の多気に館を構えた北畠氏の支城として伊勢志摩支配の拠点となって
いた。天正3年(1575)、織田信長の次男で北畠氏を継いだ織田信雄が、玉丸城に大改造を加え、本丸・二の丸・北の丸
を設け、本丸には三層の天守閣を建て田丸城の誕生となった。天正8年には、この天守閣は炎上した。
江戸時代には紀州藩主・徳川頼宣の家老・久野宗成が田丸城主となり、久野家は代々城代をを勤めた。城は明治2年
(1869)に廃城となり、同4年には城内の建物は取り払われた。昭和3年(1928)、国有林となっていたこの地域の払い下げ
に際し、村山龍平の寄付により町有となり、その後残りの地域も町有化し、町民に開放された。
(平成7年3月 田丸城跡説明板より転記)






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